7月15日のみことば

「言葉を侮る者は滅ぼされ/戒めを敬う者は報われる。」(箴言13:13)

私たちが日常使っている言葉は何と軽いことでしょう。朝言ったことが夕べには異なったものになります。それならというので約束を文書に認めるわけだが、それさえ簡単に言い換えられてしまいます。政治の世界も全く同じ。大切なことが言葉巧みに変えられます。1948(昭和23)年に文部省が作成した教科書『民主主義』にはこう記されています。「民主主義の仮想をつけてのさばって来る独裁主義と、ほんものの民主主義をはっきりと識別することは、きわめて大切です」。多数の憲法学者たちの「憲法違反」という意見にも、審議不足という国民多数の声にも耳を貸そうとしない今がその時なのでは?

7月13日のみことば

「富んでいると、見せて無一物の者がいる。貧乏と見せて、大きな財産を持つ者がある。」(箴言13:7)

人は外見だけは判断できません。外見と実際が逆の場合もあります。使徒パウロは自分のことを「悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」(Ⅱコリント6:10)と言っています。使徒ペトロはエルサレム神殿の美しい門で足の不自由な人にこう言いました。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がりなさい」(使徒3:3)。彼は立ち上がります。金銀よりも貴いもの、イエス・キリストこそ真に「大きな財産」ではないでしょうか。

7月14日のみことば

「財産が自分の身代金になる者もある。貧しい人は叱責を聞くことはない。」(箴言13:8)

富む者にもそれなりの悲惨さがあります。衣食住の心配はないでしょうが、富をどう守るか、自分はこれから先も健康か、家族は無事か…。誘拐される可能性も富める者の方が多いでしょう。だから貧しいほうがいいとは言えないが…。私たち誰にも必要なもの、それは愛の神への信頼であり、誠実な友です。「友をつくらずに暮らす金持ちは、断崖の縁に眠り込む旅人のようだ」「金持ちの葬式に足りぬものは一つもない。その惜しんでくれる人を除けば」。

7月12日のみことば

「神に従う人は偽りの言葉を憎む。神に逆らう者は悪臭を放ち、辱められる。」(箴言13:5)

誰かに会うとすぐに他者を中傷し、悪口を言おうとする人がいます。知恵の教師はそのような言葉は「悪臭を放つ」、他者を不快にし、関係を破壊すると言います。諺にも「嘘をついて得られることは一つだけ。真実を言う時さえも信じてもらえぬことだ。」とあります。真実(アーメン)の言葉、祈りの言葉が神と私たちのつながりを祝福されたものとするように、愛と真実の言葉が他者とのつながりを確かなものにします。

7月13日のみことば

「富んでいると、見せて無一物の者がいる。貧乏と見せて、大きな財産を持つ者がある。」(箴言13:7)

人は外見だけは判断できません。外見と実際が逆の場合もあります。使徒パウロは自分のことを「悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。」(Ⅱコリント6:10)と言っています。使徒ペトロはエルサレム神殿の美しい門で足の不自由な人にこう言いました。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がりなさい」(使徒3:3)。彼は立ち上がります。金銀よりも貴いもの、イエス・キリストこそ真に「大きな財産」ではないでしょうか。

7月11日のみことば

「怠け者は欲望をもっても何も得られず、勤勉な人は望めば豊かに満たされる。」(箴言13:4)

箴言はしばしば怠惰を戒めています。26:14「扉はちょうつがいに乗って回転する。怠け者は寝床の上で寝返りを打つ」。6:6~10「怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ。蟻には首領もなく、指揮官も支配者もないが、夏の間にパンを備え、刈り入れ時に食糧を集める。…」。聖書以外の諺。「横着な羊は自分の毛さえ重いと感じる」「働き者が成功したのは運が良かったのだと怠け者は言う」。いずれにしろ自分に託された務めに勤勉でありたいものです。

7月12日のみことば

「神に従う人は偽りの言葉を憎む。神に逆らう者は悪臭を放ち、辱められる。」(箴言13:5)

誰かに会うとすぐに他者を中傷し、悪口を言おうとする人がいます。知恵の教師はそのような言葉は「悪臭を放つ」、他者を不快にし、関係を破壊すると言います。諺にも「嘘をついて得られることは一つだけ。真実を言う時さえも信じてもらえぬことだ。」とあります。真実(アーメン)の言葉、祈りの言葉が神と私たちのつながりを祝福されたものとするように、愛と真実の言葉が他者とのつながりを確かなものにします。

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